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勤務先でのさまざま(その2・ゼミの学生) [在外研究(暮らし)]

 在外研究に行くにあたって,もっとも気がかりであったのは,ゼミの学生たちのことであった。勤務先コマザワ大学経営学部の場合,ゼミは2年次スタートの4年次までの持ち上がりである(余談だが,むずかしい大学になるとゼミは3年次からである。また,1年次からゼミがある,という大学もあるが,多くの場合どうでもいい大学である。さすが,日本の平均,コマザワ大学。いまや4年次の数ヶ月は就職活動でゼミが成り立ちにくくなっている。そう考えると2年から始めるというのは充実した教育を提供しているといえよう(ちょっと宣伝)。ついでにイギリス事情を書けば,在外研究先の大学の大学院の場合,ゼミに相当するものはない。チュートリアル・グループがあって,少人数教育を提供しているが,それが卒業後までずっと続く師弟関係を含んでいるのかというと,そうではないようである。担当するのも大学院を出たばかりのティーチングフェローだったりする。この点では,日本の大学教育はイギリスに負けていないと思う。)。

 恩師コバヤシシュンジ先生は,国内研究の一年間,ゼミぐらいは持とうとゼミだけは開講されていた。そのときのゼミの3年生が不肖私である。ゼミの学生を大事にすることぐらいは,先生に負けてはいられない。もっとも,大事にする,には注が必要であろう。

 大学は学生をほったらかすところである。面倒見のいい大学とか教員,とかきくと,ああ,あなたは中学や小学校の先生が向いていますね,とつぶやくことにしている(心の中で)。
 誤解を恐れずいえば,教員の仕事の一つは,意地悪く突き放して自分で考えさせることである。「ふーん,で,それで?」「どっかのブログで見てきたようなレベルの低いことをいうんじゃありませんよ。」とか。
 その一方で,「吹雪のアルプス山中におけるピレネーの地図」になってやることである。おお,地図が出てきた,と落ち着いて迷子になっていた登山者が下山できれば,それでよいではないか。別の言い方をすれば,おぼれる学生のつかむ藁になってやることである。やあ,つかまるものがあった,と安心して岸まで泳いで行ければ,それでよい。
   
 恩師コバヤシ先生は,なんだか訳のわからないひとであるが,コンパの帰りに,突然,「ヒノ君,きみはとにかく英語やんなきゃだめだから。」とおっしゃってくださったことある。いまとなっては,なんというアドバイスだったのだろうと思わずにはいられない。

 さて,私の場合,大学院時代の先輩に代講を頼んで,ゼミの学生には,きっとイギリスに遊びに来るのだよ,と言い残してイギリスに旅立ったのであった。
 そして滞在の日々も残り少なくなった1月,とうとうゼミの4年生,セキグチ,ヨネヤマの2名がダラムまでやってきてくれた。初海外,というが,店でも列車でも二人ともなかなか堂々とした受け答えである。私が始めて外国に行った大学生の時よりも堂々としていると思う。
 彼らをおいてきた罪悪感は少しだけだが軽くなる。ちょうど,こちらの大学も卒業式のシーズンである。卒業式を見物したり,こちらの学生の卒業会食に混ざって,3コースを頼み,ワインを飲んだりする。寒くて暗いイングランド北部の田舎で,研究生活を送る私が彼らにとってなんかの刺激になってくれればと思う。

「ここのレストランはどう?」
「やばいです。」
「......。」 

写真はロンドンのパブで。
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