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ジョギングで見物 [その後]

 在外研究も遙か遠くなって雑事にまみれているが,いまだに思い出さない日は一日もない。それぐらいに印象が深い。2年ぐらい前に妻に聞いてみたら同じ答えであった。ダラムを再訪する機会は3 度あったが,列車を降りるといつも草の匂いにまた来たなあ,と思う。
  
 ダラム大学でお世話になった先生はいい人で,いまだに付き合いがあって,かれこれ3,4回は再会しているのではないか。この10月はベルギーで開かれた国際学会の中の小さなシンポジウムで一緒に報告をしてきた(いや,本当に小さなシンポです。)。国際学会といえば,コマザワ大学は寛容なところがあって,どうぞゆっくり行ってらっしゃい,というところがある。研究報告も見物もどちらも仕事にも人生にも有益である。自腹で海外旅行するぐらいの給料はもらっているし,前都知事先生ほどいやしくはない。ただ,授業や往復を考えるとそんなにいつでも来られるものではない。そんなわけで日程がタイトすぎるとそのバランスに苦労することになる。今回は私も駆け足だったが,それでも駆け足で見物をしようと,ジョギングシューズを持ち込んでみた。それについてちょっくら書いてみようと思う。
 
 さて秋の日ざしの明るい日曜日の午後,ブリュッセルのホテルを会場から遙か彼方に見えていた玉ねぎ頭の大聖堂までひとっ走り行ってみようと後にした。地図上で中央駅や王宮がある方を東側の丘だとすると,ちょうど川を挟んで西側の丘の上に位置するようである。ポケットには地図とカメラを入れ,左腕にはGPSウォッチを巻き,首にはネームタグの入っていた袋に20ユーロを入れて下げる。スマホもパスポートも持っていない。装備は貧弱,隊員は隊長一人の異端ケンタの探検隊である。

 走り出して5分も行かないうちに,なにか魚屋があって人々が群がって立ち食いで牡蠣やワインを楽しんでいる。牡蠣もワインも大好物である。魚を焼いているのか炒めているのか美味しそうな匂いもしている。白ワインを一杯ぐらい飲んでも走れるだろうとか,20ユーロで足りるだろうかとか,口に生唾が,いろいろ都合の良い理屈が頭に湧く。

 ブリュッセルは多国籍化する欧州の象徴みたいなところだと聞く。運河を渡って路地を走って行くと中東系の顔立ちの人ばかりという地区がある。中東人が危険だというのは偏見であるが,とりあえず治安がいい地区なのかどうかはわからない。しかしこちらはジョギングの出で立ちである。目が合うとにっこりしてくれる人が多い。子どもが指を指しておもしろがる。公園では中東系のひとが100人以上なにやら言い争いをする同胞を取り巻いている。せっかくなので近くまで行ってアラブ人のけんかを見物する。これがでかいカメラを持っていたり,ちゃんとした格好をしていたりするとまた違うのであろう。安保法制がPKOでの武器携行を可能にしたのは,日本の自衛隊というものを見る目を変えてしまうのではないか。舌っ足らずの総理大臣のなさったことに対して,舌っ足らずの感想が頭の中に浮かぶ。

 緩い上り坂を登ってたどり着いたのが,Bacilica of Sacred Heart。振り返って見るとブリュッセル市街が遠い。しかしここまでただの4kmである。まだ30分しか経っていない。日も高く暖かい。もう少し見物を続けようと思う。
 とはいえ,更に1kmも走るともういやになる。休もうと公園らしき中に入ってみる。とそこは墓地であった。墓地で休むのはまだまだ少し先にしたい。
 結局,フルーリスト・デュ・ストウィンヴェンベル公園の芝生に寝っ転がってトカゲをきめこむ。つまり背中の下はユーラシア大陸である。周りを見ると同じように寝そべったり座り込んだりしている人々がいる。このように暖かく日差しのよい日は,ヨーロッパ人は薄着で肌をさらす人が多いが,その肌のさらし方にも強弱がある。私の見立てではベルギー人は弱の方ではないか。
 
 エーミル・ボックタル通りののみの市を眺めたりしながら歩いていくと空腹と乾きを覚える。何か飲んだり食べたりしたい。カフェの店先ではなにやら緑色の葉っぱがグラスの下半分ぐらいに入った温かな飲み物を飲んでいる人がいる。酒か酒でないのか定かではないが,酒であっても良いしそうでなくても良い。甘いのか辛いのかもわからない。とりあえず店の奥で手真似で頼んでみると,店番の青年は小さな真鍮の湯沸かしに砂糖を大きなさじで二杯ばかりしゃくりこんで火にかけた。出てきたものはハーブの香りが立つミントティーであった。持つのに苦労するほど熱い。

 飲み物と言えばベルギーはビールの国で,人々はカフェの店先で,25clのグラスでちょいちょい飲んでいる。幸いなことに,明日の帰国までにはまだ少し時間がある。まだ何杯かは飲めそうだ。プリムスはすっきり。ジュピラーは後口が甘い。

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いろいろあったが,在外研究イギリス編もうすぐ帰国。 [在外研究(まとめ)]

ここから車で1時間で行ける保存鉄道は3つある(まだあるかもしれない)。一つは,タンフィールド,もう一つはウェアデイル・レイルウェイ,そしてもう一つがサウス・タインデイル・レイルウエイである。今回は,サウス・タインデイル・レイルウエイを紹介したい。

 この鉄道は,ニューカッスルとカーライル,つまりブリテン島の中央部を横断する鉄道のほぼ中央部にあるハルトホイッスルを起点とし,アルストンまでの30Kmあまりを結んでいた支線に由来する。現役時の主な輸送品は錫などの鉱石だったという。道路交通が十分でない時代に重量物を運ぶのは,水運か鉄道しかなかったからであろう。この手の歴史を持つ鉄道は至る所にあって,さすがは産業革命の国,と思わされることが実に多かった。

 ついでに,今でこそ,穏やかな牧草の丘陵地帯が広がり,イギリスは自然豊かな国だ,という印象を受けるがそれはどうやら一面的な見方のようである。例えば,牧草地の多くは林を切り開いて作ったものだというし,石だの石炭だの鉱石だのを掘り出したり切り出したりしていた場所には事欠かない。事実,今でこそダラムは世界遺産と落ち着いた田園の町であるが,1970年代までは,炭坑と暖房の煙が立ちこめ,硫黄臭い町だったという(長男トシヒロの友人ジャックくんのおじいさん談)。
 往時はにぎわったであろうアルストンは,「かかし祭り」のまっただ中であった。かかし祭り,というのは,家の軒先にかかしをおいておくので,通行中の皆さん,あなたのお気に入りを選んでくださいね,というコンテストである。

 さて,この鉄道の最大の特徴は,762mmゲージを採用している点である。この規格の鉄道は軽便鉄道と呼ばれる。ただし,開業時から軽便鉄道であったわけではない。なので,この鉄道は軽便鉄道ではない。ただし線路や車両は軽便鉄道である。
 なんだか訳がわからなくなってきたが,1852年の開業時から,1976年の廃線までは標準軌の普通の鉄道であった。1973年の廃線の決定から,廃線までの間に金策その他を検討したものの結局かなわず,一回は線路が全て撤去されてしまう。結局,標準軌での復活は費用の点で難しく,わざわざ762mmゲージを引きなおしたのだという。
 この鉄道は,「絶対ここに再び汽車を走らせるんだ。」といった人びとの情熱の結晶であろう。と同時に,「もう止めようぜ。」といったひとは絶対にいたと思うし,よく復活をあきらめなかったものだと思う。
 人が集まって何かをする,つまり組織がわたしの研究の対象である。人々の情熱が,実際の鉄道になることを考えてみると,組織なるものは,やっぱりおもしろいと思う。

 現在の長さは3マイルほどであるが,さらに資金を得て,元々の起点のアルストンまでの路線復活をもくろんでいるとのこと。高架橋(Viaduct)の補修ほかいくつかの課題はあるらしいが,このマッチ箱みたいな汽車にのって,アルストンを再訪できる日が来ればいいなと思っている。

 
 さて,在外研究ももうおしまいである。今週の金曜日の夜には,日本に帰って夜桜を眺めていると思うと,名残惜しさは尽きない。
 学者ならばブログやフェイスブックじゃなくて論文を書け,と過去の記事に書いたと思うので,論文も書いたよ,ということも載せておきたいと思います。第一,社会も駒澤大学も経営学部の同僚も学生も,わたくしがビールやエールをカパカパ飲んで,子どもと楽しく遊んで,マニュアル車の運転にどきどきして,保存鉄道やら蒸気機関車にうつつを抜かすことを期待していた訳ではないでしょう(以上4項目,全て満喫しましたが。)。成果をあげることを期待して送り出してくれたのだと思います。

"Romance of Leadership and Organizational Failure" Leadership and Organization Development Journal (in press)
"Self-sacrificing leadership and social identity" (投稿先探し中)
「イギリスで考える企業と社会」『経営戦略研究』第11号

 そのほか,国際学会での発表予稿が1件アクセプトされた。英語について言えば,話す方(特に聞く方)は,よく分からないことが未だに多いが,書くのについてはだいぶ慣れたな~,という感じ。別に英語の勉強に来たわけではないので,英語の勉強はほとんどしなかった。書くことを意識しながら論文を読んだのと,人が添削してくれたものの中から,自分で使えそうなフレーズをちょこまか書き留めていったぐらいである。例えば,Concretlyと書いてあったのを,More specificallyと直してもらったことがある。具体的には,と書きたいときは,これを使うのね,と言う具合にである。というわけで,書いたことが一番勉強になった,と思う。

 滞在したビジネススクール,及びそこでの同僚の皆さんから受けた刺激は計り知れない。受け入れ先になってくれた先生は,実に親切で楽しい人であった。行き先探しの話からこのブログはスタートしているが,この人のところで勉強しようという意思決定は間違いなかったという確信がある。

 さて,他の先生方が書かれたことが参考になったから,これから行くひとのためになるようなことを書き残しておきたい,という動機で記した訳だが,お役に立ったかどうか。どうも振り返ってみると,大したことないことを偉そうに書いている。こういういやらしいエクスキューズがますますヒノ氏の自意識過剰と小物ぶりを際だたせる,という感想を呼び起こしているような気がする(以下繰り返し)。いや,そういう自意識は持っていますよ。普段大学で大教室講義をしている時でも,自分はなんかとてつもなく恥ずかしいことをしているのではないだろうか,という思いにとらわれることがある。
 一年間何とか暮らして,この程度の人はこの程度の人なりに,この程度の苦労をしてこの程度の成果をあげて,この程度のことにこんなに満足しているのね,とか,「この程度」を念頭に読んでくださればそんなに腹も立たないと思います。おしまい。
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イギリスの蒸気鉄道,しなかったこと。 [イギリス(無用の用)]

 あれもしよう,これもしよう,とやってきたイギリスであるが,しなかったこともある。その一つが,本線を走る蒸気機関車の牽く列車に乗ること。いくつかの組織や個人(!)が,蒸気機関車を持っていて,それが牽く列車に乗ってのツアーがいくつもある。今となっては,乗ればよかったな~,と思う。

 家の近くを走るイーストコーストメインラインにも,先週末,今週末と蒸気列車がやってきた。老若男女のイギリス人に混じって(2週とも同じおじいさんにあった。先週もいましたね,と問うてみると,ここに来るやつは,見逃したことはないね,とのこと。),列車を見送る。
 列車はドラフトと共にみるみる近づいてきて,白い煙をたなびかせてあっという間に遠ざかっていく。

ツアーの情報はこちら。
UKスチーム情報


 写真は12月,ヨーク駅から東へ帰っていくブリッタニア・クラス 70013”オリバー・クロムウェル"
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 いよいよ次回,最終回。


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イギリスの医療(その3) [在外研究(暮らし)]

それまでも,子ども達が,風邪を引いた,おなかが痛い,ということがあったが,いずれもとりあえず様子を見るうちに落ち着いていた。ところが,11月の中盤のある日,次男トモノリが腹痛を訴える。熱もあるし,むかむか吐き気もするという。スプーンでサイダーを一口ずつ飲ましてやっても,何度か戻す。とりあえず様子を見る,という状況よりは悪そうである。
 というわけで,いよいよGPに行かねばならない,ということになった。月曜日の朝,9時半に電話をしてみると,別に頼み込んだわけではないが,11時に来てくださいとのこと。すんなり予約はとれた。タクシーを呼んで,GPへ。

 受付をすませてしばらく待つと,インド人(名前からしてそうではないか。)医師による診察である。"How can I help this young man?"と,にこにこと迎え入れてくれる。両親が,たどたどしく症状を説明してから,診察に移る。手順は日本とそんなに変わることはない。体温は,両耳の鼓膜温を違う体温計で測定する。体温計を渡されて待合室で自分で検温するのよりは慎重ではないか。おなかを押したりする様子は,日本の病院と変わらない。

 結果,まあ,熱も下がっているし,悪いものでも食べたことによる腹痛でしょう,今日は食事は止めて,ジュースやコーラ(確かにコークって言われた。)を飲ませなさい,食事はヨーグルトのようなものから始めなさいという診断と治療法になる。一応,便の検査をしておきましょう。4時までにレセプションに出しておいたら,明日には結果が分かるので,何か重篤な問題があれば,連絡します,とも。薬も処方箋もなし。3日経ったら来てくださいもなし。

 そんなわけで,家に帰って,医師のアドバイスにしたがって過ごすこと3日,元気を取り戻し,木曜日からは学校にも行けるようになる。というわけで一件落着。金曜日になって,元気になったか,と電話をもらう。家内によれば,なんかが検出された,とかいうことだが,よく分からない。

 今回の経験から見る限り,イギリスの診断や治療も悪くない,と結論したい。薬がないというのは,実はよいと思う。医者で出された薬を無理に飲ませようとしたがために,嘔吐した,とか,嘔吐したのでまた飲ませてみたらまた嘔吐した,という経験は全ての親が持っているのではないか。
 そもそも,ひとさじひとさじ飲ませてやっても戻すときは戻す。親が冷静になって,2,3時間待ってやるしかない。2,3時間早く飲ませたから,2,3時間早く元気になるということも,間に合わなく死んじゃうこともあるまい。まあ,なかなかその辺の加減というか判断は,親だからこそ難しい,とつくづく思う。イギリスみたいに適度に,医者にかかるのがめんどくさい方が,加減の仕方を覚えるのではないか。

 というわけで,私の場合の病気体験を書いてみた。日野家2代(よーするに自分とその弟妹,また自分の子ども)にわたる観察によれば,子どもがちょこまか病気をするのは,年中組までだと言ってよい。そういうわけで,子どもの年齢から見て,ちょっと我が家は恵まれた状況にあったと思う。もっとも,私自身はもう少し大きくなってから,溶連菌感染症や急性腎炎など,重病も経験している。こういう病気になったら,結構面倒くさいぞと思う一方で何とかなるとも思う。病気になるかならないかは分からないし,心配していては,始まらない。と,強がりを言う一方で,残りの滞在期間が無事終わることを祈っている。

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勤務先でのさまざま(その2・ゼミの学生) [在外研究(暮らし)]

 在外研究に行くにあたって,もっとも気がかりであったのは,ゼミの学生たちのことであった。勤務先コマザワ大学経営学部の場合,ゼミは2年次スタートの4年次までの持ち上がりである(余談だが,むずかしい大学になるとゼミは3年次からである。また,1年次からゼミがある,という大学もあるが,多くの場合どうでもいい大学である。さすが,日本の平均,コマザワ大学。いまや4年次の数ヶ月は就職活動でゼミが成り立ちにくくなっている。そう考えると2年から始めるというのは充実した教育を提供しているといえよう(ちょっと宣伝)。ついでにイギリス事情を書けば,在外研究先の大学の大学院の場合,ゼミに相当するものはない。チュートリアル・グループがあって,少人数教育を提供しているが,それが卒業後までずっと続く師弟関係を含んでいるのかというと,そうではないようである。担当するのも大学院を出たばかりのティーチングフェローだったりする。この点では,日本の大学教育はイギリスに負けていないと思う。)。

 恩師コバヤシシュンジ先生は,国内研究の一年間,ゼミぐらいは持とうとゼミだけは開講されていた。そのときのゼミの3年生が不肖私である。ゼミの学生を大事にすることぐらいは,先生に負けてはいられない。もっとも,大事にする,には注が必要であろう。

 大学は学生をほったらかすところである。面倒見のいい大学とか教員,とかきくと,ああ,あなたは中学や小学校の先生が向いていますね,とつぶやくことにしている(心の中で)。
 誤解を恐れずいえば,教員の仕事の一つは,意地悪く突き放して自分で考えさせることである。「ふーん,で,それで?」「どっかのブログで見てきたようなレベルの低いことをいうんじゃありませんよ。」とか。
 その一方で,「吹雪のアルプス山中におけるピレネーの地図」になってやることである。おお,地図が出てきた,と落ち着いて迷子になっていた登山者が下山できれば,それでよいではないか。別の言い方をすれば,おぼれる学生のつかむ藁になってやることである。やあ,つかまるものがあった,と安心して岸まで泳いで行ければ,それでよい。
   
 恩師コバヤシ先生は,なんだか訳のわからないひとであるが,コンパの帰りに,突然,「ヒノ君,きみはとにかく英語やんなきゃだめだから。」とおっしゃってくださったことある。いまとなっては,なんというアドバイスだったのだろうと思わずにはいられない。

 さて,私の場合,大学院時代の先輩に代講を頼んで,ゼミの学生には,きっとイギリスに遊びに来るのだよ,と言い残してイギリスに旅立ったのであった。
 そして滞在の日々も残り少なくなった1月,とうとうゼミの4年生,セキグチ,ヨネヤマの2名がダラムまでやってきてくれた。初海外,というが,店でも列車でも二人ともなかなか堂々とした受け答えである。私が始めて外国に行った大学生の時よりも堂々としていると思う。
 彼らをおいてきた罪悪感は少しだけだが軽くなる。ちょうど,こちらの大学も卒業式のシーズンである。卒業式を見物したり,こちらの学生の卒業会食に混ざって,3コースを頼み,ワインを飲んだりする。寒くて暗いイングランド北部の田舎で,研究生活を送る私が彼らにとってなんかの刺激になってくれればと思う。

「ここのレストランはどう?」
「やばいです。」
「......。」 

写真はロンドンのパブで。
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GPで健康診断(イギリスの医療・その2) [在外研究(暮らし)]

 全国共通なのかはわからないが,登録の際には健康診断があった。大人一人プラス子ども一人で受けろといわれ,長男トシヒロと一緒に診察室に入る。といっても私は問診と身長・体重・血圧の測定だけでおわる。"Do you drink? " "Every day?"とか聞かれる。疑問文だから当然語尾を上げるのだが,なんだか怒られているような気になる。"Yes, but small amount."とか答える方も言い訳めいている。
 日本では雇用者に被用者の健康診断が義務づけられており,その結果,何ら問題がなかったことを伝えた。実は健康診断はオールAなのである。どうだ,すごいだろ。大学の先生がそんなオールAしか自慢できないので情けない。健康診断表を持ってきていれば,もっとわかりやすく説明できたかもしれない。
 
子どもは,髄膜炎(meningitis,メニンジャイティス)とおたふくmumpus(モンプス)の予防注射を受けるように言われる。ここでは,母子手帳の予防注射の記録が役に立った。母子手帳は世界的に見ても優れた制度だと言われていると聞いたことがある。非常に便利な記録であるが,注射の日付などが西暦表記でないのが玉にキズ。
 その場で受けることになり,トシヒロが青くなる。本人たちの名誉のために書いておくと,二人とももちろん泣いたりしない。お医者で泣かないのは,日野家2代にわたる誇るべき伝統である,と言い含めてあるからである。伝統的支配なのである。
 ぶすっと両腕に二本ずつ。消毒はしない。曰く,刺すとき痛い,薬の入ってくるとき痛い,結局日本のより痛い,とのこと。

 家内は,子宮頸ガンの検診を受けるように言われ,結果次第で予防注射が必要と言われる。後日「出産ほど痛くないから。」といわれつつ検診を受けたらしい。日本で検診を受けたことのある人は,結果を持参して説明すれば免除してもらえるのではないか。

 そもそも病気を表す単語は知らない。cancerは誰でも知っている。appendicitisは,中学3年生の時にバーバラ(だったと思う)がかかったので,知っている。ちなみにバーバラは英語の教科書に出ていた女の子ですね。私自身がたまたまかかったことがあるので,pneumothorax,自然気胸も知っている。ほかは知らない。ゆえに,電子辞書が役に立った。

 医療の次回はGPのお世話になる,の巻。果たしてイギリスの医療は崩壊しているのか?
 
 おっ,そういえばurineの話を忘れていましたね。というか,私の場合提出するのを忘れて持って帰って来てしまいました...。速やかにトイレに捨てました...。
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イギリスでの医療 [在外研究(暮らし)]

 いろんな事情を経て,もう一つだけ在外研究と暮らしについて書いてみようと思う。在外研究でイギリスに来る人のお役に立てば幸い。というわけでイギリスの医療編はじまりはじまり~。 

 ロンドンには日系の病院があって,日本人医師の診察すら受けられるらしい。ところが,ここにはもちろんそんなものはない。また,このようなプライベートと呼ばれる医療を利用するには,高額の医療費がかかるらしい。もっとも旅行傷害保険に入ればよい。ただし,調べてみると,一家で何十万円,という金額である。駐在のひとは,おそらく会社が払ってくれるのであろう。保険が全額払ってくれるとなると,被保険者は見境なく病院にかかるであろうし,旅行者本人の懐が痛むわけではないから,病院が請求する診察費もべらぼうに高くなるのであろう。さる病院のホームページには初診料135ポンドより,とある。保険会社も,採算がとれるまで保険料を上げればいいしね。

 ところがイギリスは国民皆保険の国である。もっといえば国民でなくても6ヶ月以上滞在するひとは,国民保険に加入することができる。しかも医療費は原則無料らしい。ただし,好きなときに好きな医者にかかれるわけではなく,かかりつけ医(GP:General Practitionar)に登録し,電話で診察の予約を取ったうえで診察を受け,症状によっては大病院を紹介されるらしい。タダにしておくと,かかり放題,請求し放題,という問題が起こってしまうはずだから,そのためには受診制限は必須である。

 さて,GP探しは面倒だろうなあ,と思っていたが,ビジネススクールの国際関係担当事務のワッツさんが,到着2日目にGP情報を含めいろいろ教えてくれた。よく考えれば,大学には大量に学生や教職員がいる。そういうアドバイスは慣れている風であった。
 そんなわけで電話で予約を取って,パスポートと住所を証明できるものとしてTenancy Agreement(住まいの契約書)を持って,GPへ赴く。

 イギリスは,ある面では日本以上の医療崩壊が起こっているという。NHS(National Healthcare System)の問題点は,いつも報じられている。そもそもGPの予約は取れず,診断がついても治療はずいぶん待たされるとか。待ちきれなくて死んじゃったとか。富裕層は自分で保険に入ってプライベートの医療を受けるとか。
 とはいえ,まがりなりにも外国人も含めて全員に無料の医療が保証されている,というのは優れている,ともいえる。アメリカでは,医療保険の保険料も診察料もべらぼうで,子どもが病気になったために,支払われる保険金の上限まで達してしまった,とある人が言っていた。それを聞いて「まあ,アメリカって格差社会なのね。」というひとが少なくないという東の方にあるある国では,国民皆保険を掲げつつも,その保険料が払えず,無保険になっている人も少なくないという。実際,大学院生時代,国保の加入者であったが,負担感は大きかった。

 そんなわけで描いていたGPのイメージは,薄汚れた診療所,つっけんどんな医者,アル中の患者が徘徊する待合室であった。ところが,実際に出かけてみると,意に反してこぎれいである。また来ている人も底辺層という感じは全くしない。この日は,家族分の健康状態調査票と,容器をもらって帰ってくる。「urine」。あまり聞かない単語なので一瞬わからなかった。違うものを入れていったらひんしゅくだろうなあ...。
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NYMRとWSR [イギリス(無用の用)]

 さて,いよいよNYMRとWSRに行ってみようと思う。「いよいよ」というのには訳がある。それぞれ30マイルほどとイギリスの保存鉄道の中では屈指の長さを誇る保存鉄道である。30マイルといえば,48キロ!まともな人たちのやることではない(英語のcrazyは,時として,すごくいいね,の意で使われる。こういう言葉がすっと使えるようにはなりそうもない。)。あっ,NYMRは,North Yorkshire Moors Railway(ノースヨークシャー・ムーアーズ・レイルウエイ),WSRは,West Somerset Railway(ウエスト・サマセット・レイルウエイ)の略です。

 略語といえば,英語の略語はよく分からない。日本語だってコンビニとか田都とかいうけれども,それぞれコンビニエンスストアと田園都市線の略だとすぐ分かる。コンビニをCVSと略すのは業界人だけだし,DTSとか言われたらもう分からない。
 例えば,asap。ちなみに,as soon as poosible の略です。返事くださいねaspsasap,みたいに使う。ちなみに,as soon as possibleを一語で,というのは英語の問題で見たような気がする。正解はimmediatelyだったと思うのだが,実はasapも間違いではないということになる。
 大学入試でもいざ解答用紙を集めて,asapが答えにあったら,採点者一同鳩首会議必至である。入試というものは,正解の可能性がある答えに対しては慎重に対応しなければならない。
(as soon as possibleなので,ASAPですね。訂正します。)

 
 話が脱線してしまった(鉄道だけに)。NYMRは,イングランド北東部のピッカリングからゴースランドを結ぶ。季節によってはゴースランドから海辺のウィットビーまで普通の鉄道(ネットワークレイル)に乗り入れる。ピッカリングは山の中の行き止まり駅だが,かつてはさらに南に線路が延びており,そこからロンドンから海水浴客のための列車が走ったこともあったという。
 線路はムーア(荒野)の谷の中を走る。勾配が続くところもあり,蒸気機関車は盛大に煙を噴き上げドラフトの音を響かせる。長さだけではなく,大型の蒸気機関車がたくさん保存されているのもこの鉄道の魅力である。やはり炭坑用の機関車とは迫力もスタイルもスピードも違う。月並みながらかっこいい。 

 また,ゴースランドを出てすぐ200mぐらいのトンネルもある。汽車がトンネルをくぐるときは,窓を閉めるのだ,と一緒に行った私の両親は教えてくれた。そう言えば,子どもの時そんな話を聞いた覚えがある。トンネルの中を走る列車の車内には白熱灯がともっているものの薄暗い。自分自身の実体験としては汽車の旅は知らない世代であるが,想像するのは,「わたし」が「先生」の手紙を読んでいるところである。汽車の時代の旅とはこんなものだったのだろう。

 一方,SWRは,イングランド南西部・コーンウォールにある。3年前の夏休みに語学研修の引率でこの地方に滞在したことがあった。することのない(まー,他の日も何もすることはなかったのですが,夏休みはこれで終わりました。)土曜日に一人で出かけてみた。私が行ったときは,一日4本の列車が2往復ずつしていた。うち2本が蒸気機関車,1本がディーゼル機関車の牽引。残りの1本がディーゼルカー。乗ってしまえばたいした違いはない。

 当時の日記によれば,途中のウォッシュフォードという小さな駅のおじいさんに話を聞いている。曰く「ボランティアで25年。バースにすんでいて休みのたびごとにここに来て,駅員をやっている。泊まるところは鉄道に寮がある。」駅はきれいにペンキを塗られていたし,花壇には色とりどりの花が咲いていた。自分の「仕事場」にこれだけ愛着をもてるのは幸せなことであろう。このひとは,そんなに入れ込んで,家庭とか大丈夫か?とも書いてある。夫婦で保存鉄道好きという人も少なくないのがイギリスだが,しばしば忙しさは家庭を崩壊の危機にさらす。どうせ崩壊するのなら,それだけの価値のあることに入れ込みたい。この駅は,このおじいさんにとってそれだけの価値があるのだろう。家族をおいての夏休み故に,そんなことを考えたのを覚えている。

 NYMRとWSRの共通点は,それぞれ海辺の町を終点とするという点である。夏の休日は海辺で海水浴をしたり,日光浴をして過ごすのが,この薄暗く肌寒い国の人々の楽しみらしい。それを示すエピソードには事欠かない。 
 例えば今年の10月のはじめは,イギリスでは観測史上最高の暑さであった。海に向かう道路が渋滞し,旅行サイトの検索件数やATMからのキャッシュの引き出し額が前年比数倍になったとかいうニュースが報じられていた。 住んでいる家の近くには運炭鉄道の廃線後があるが,夏の休日のみ海辺に向かう炭鉱労働者のための臨時列車が運転されていたという。そういえば,きかんしゃトーマスにもしばしば,子どもを海に連れて行く列車の話が出てくる。
 ヨークの鉄道博物館はよーく知られているが,それよりさらに北のシルドンに別館があることはあまり知られていないと思う。ここには,キャンピング・コーチ,つまり海辺の街の引き込み線に止めて使う寝台車みたいなものが展示されている。寝台車といっても貨車の親戚のような様相である。説明によれば,あまりお金のない人たちが泊まったのだという。
 
 NYMRのウィットビーにせよ,SWRの終点マインヘッドにせよ,その他訪れた海辺の町には,往時の賑わいには及ばないのだろうが,未だに数階建てのB&Bやホテルが軒を連ねている。フィッシュアンドチップスをパクつくイギリス人に混じって(彼らは海辺では魚料理,すなわちフィッシュアンドチップスを食べるものだという固定観念があるらしい。),過ごす海辺の休日はなかなか素敵である。そこいらの売店で売られている巻き貝やカニの塩ゆでもなかなかいける。醤油とわさびがあればなおよい。

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 写真はWSR,Blue Anchorにて。これもまたイギリス社会の一こま。


 入試に関する記述は,もちろん所属組織の公式の見解ではありませんし,私が英語の出題に関わっているとかいないとか,そういうこととも全く関係ありません。
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カップラーメン(その2) [在外研究(暮らし)]

 EDOラーメンも,具が入ってないのはさびしいですけど結構おいしくいただきました。日本メーカーのものはないのか?
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 大学近くのコンビニには,見慣れぬ日清カップヌードル「台味道」や,出前一丁が置いてあります。一個1ポンド弱なので,日本よりはややお安い。中国法人やヨーロッパ法人が現地で生産したものを,イギリスに持ってきているようですね。韓国や中国のメーカーは自国で生産したものを輸出できることを考えると,為替,人件費と日本がいかに製造業にとって厳しい条件になっていることを実感させられます。

 また,過剰品質も高コストにつながっていることは,間違いなさそうです。「台味道」の容器は紙でできていて手で持つとちょっと熱い。「出前一丁」はプラスチックでできていて,汁をすすると,カップが口の端に当たって痛い。日本の発泡スチロールのカップはなんて良くできているのだろう,と思わずにはいられないですね。
 
 よく聞く意見に,「「日本製品」に対する一定のブランドイメージはあるようなので,日本ブランドを全面に押し出すことが必要」というのがある。
 ところが,日清が日本企業で,EDOラーメンが中国企業だ,ということに気がつくひとはどれだけいるだろうか。中国企業が,日本風の名前を商標登録するのを訴訟等で止めさせていく,という動きがあることを知っているが,日本でも王朝キムチとか宮廷キムチという日本製のキムチがあるように,日本風の名前を使うことを完全に止めさせるのは,現実的ではない。もちろん,けしからん,というのは自由だが,けしからんというのは,生産的だとは思えない。そう思う人は,Yahoo!とかtwitterでけしからんと言っておればよろしい。
 
  また,NECや,Nikonは,ネックやナイコンであって,日本企業だということを知らない人も結構いる(日本への中東からの留学生談)。SONYが日本企業だと言うことを知らない人は実際にいた(3年前イギリスに引率した学生談)。「日本にはNINTENDOある?」って,聞かれた日本の女子高校生もいる(ただし,20年前)。 結局消費者の選択は,一義的にはどこの国の企業が作った,ということよりも,その製品がどうか,ということにかかっていると思う。Panasonicが,松下電器産業から名前を変えたように,既に企業の認識は変わっているのではないか。

 そんなわけで,官民挙げて,日本ブランドを売り込むことが,日本製造業の競争力を増す,というのは妄論じゃないかなあ,と思う。官民挙げて,ラベリングや認証機関を作って,売り込むという方法もないわけではないが,経済産業省関係の天下り先が増えるだけではないか。「紀州備長炭使用店」の焼き鳥ならうまい,と考える消費者はそんなに多くない。すべての店が本当に紀州で作られた備長炭を使っているかは疑わしい,という意見さえある(日野先生調べ。サンプル数1。)。
 結局,多国籍化して,生産を現地化して,経営を現地化して,価格と品質,サービスのとれた製品を売っていくのが,今後の日本企業の生き残る道ではないか。それは個々の組織と個人の努力にかかっていると思う。当地では,当地で作られたNISSANが,他のヨーロッパの車に混ざって,普通に走っている。5,500人の従業員がいるそうだが,日本人は20人ぐらいかな,とは,NISSANで働くイギリス人社員(たまたま電車の中で出会った)の弁。
 食品についても同じであろう。当地では,どこで作った分からないsatsuma(みかん。芋に非ず。)や,shimeji(きのこ)が普通に八百屋で売られている。そばに日本産が並べられて,「こっちの方が値段は高いけど,おいしいね。」ということになって,市場は開拓できるのではないか。もちろん,店によっては,日本産を偽って売る店が出てくるかもしれないが,それは最終的に,その国の市場のルールと慣行をふまえた小売店と消費者の信頼関係の問題ではないか。


 と,ごちゃごちゃ言っているうちに3分経ちましたね。それでは,ラーメンをいただくことにしましょう。おお,ちゃんと日本と同じように具が入っている。写真ほどには大きくないですねどね。まあ,これも現地化の一種ですかね。お味は,カップヌードルにそっくり。ズルズル。
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カップラーメン(その1) [在外研究(暮らし)]

 今日はCityCentreのアジア食料品店にやってきました。それでは中に入ってみることにしましょう。
 店員さんはどうやらタイ系の方々のようにお見受けします。ここはタイ人経営者による経営のようですね。

 それでは棚を見てみましょう。おお,タイのラーメンがあります。ナンプラーの小瓶があります。餅米を蒸すための草のかごがあります。しかし店内を見回すと,タイ,韓国,中国が,2:2:6ぐらいの割合で並んでいますね。買い物をしている人は,確かにアジア系の人が多いですが,ヨーロッパ系の人もいますね。 
 
  それではともかく,お買い物をして帰ることにしましょう。
 まずは,Japanese rice。1kg 1.60ポンド。ただし産地不明。カリフォルニアかタイか,はたまたイタリアか。たまには米も食べたいですね。日本育ちとしてはね。

 カップ麺も食べたいですね。こちらは韓国の辛ラーメン。正直,日本で買ったことも多々あるけど今はマジで買わない。おおっと,高岡蒼甫くんみたいな口調になってしまいましたね。だって,辛いんだもん。「辛って書いてあるだろうが!」。

 おや,こんなところに,「江戸ラーメン」っていうのが売ってますね。ほ~,しかも,「札幌」「沖縄」「熊本」3種類も。「札幌豚骨味」とか,書いてありますよ。久しぶりに,日本のラーメンでも買ってみることにしましょうか。日本企業も頑張ってますね。
P1000032.JPG
 
 えっ,札幌豚骨味???? 札幌????,豚骨????驒????
 会社は,香港?産地はシンガポール?ここどこ??わたしはだれ??マジ買わない???おおっと,また高岡くん,と,そのお友達ネタですよ~。中国企業が日本風を騙ってますよ~。早くツイートしないとだめですよ~。

 この間は,「さぬき」って書いてある韓国製の冷凍うどんを買っちゃいましたよ。でかでかと「さぬき」,あとは,よく見たら全部ハングルですよ。しかも,けしからんことに,歯ごたえしこしこ,のどごしちゅるちゅるなんですよ。高岡くん,Come on!

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