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いろいろあったが,在外研究イギリス編もうすぐ帰国。 [在外研究(まとめ)]

ここから車で1時間で行ける保存鉄道は3つある(まだあるかもしれない)。一つは,タンフィールド,もう一つはウェアデイル・レイルウェイ,そしてもう一つがサウス・タインデイル・レイルウエイである。今回は,サウス・タインデイル・レイルウエイを紹介したい。

 この鉄道は,ニューカッスルとカーライル,つまりブリテン島の中央部を横断する鉄道のほぼ中央部にあるハルトホイッスルを起点とし,アルストンまでの30Kmあまりを結んでいた支線に由来する。現役時の主な輸送品は錫などの鉱石だったという。道路交通が十分でない時代に重量物を運ぶのは,水運か鉄道しかなかったからであろう。この手の歴史を持つ鉄道は至る所にあって,さすがは産業革命の国,と思わされることが実に多かった。

 ついでに,今でこそ,穏やかな牧草の丘陵地帯が広がり,イギリスは自然豊かな国だ,という印象を受けるがそれはどうやら一面的な見方のようである。例えば,牧草地の多くは林を切り開いて作ったものだというし,石だの石炭だの鉱石だのを掘り出したり切り出したりしていた場所には事欠かない。事実,今でこそダラムは世界遺産と落ち着いた田園の町であるが,1970年代までは,炭坑と暖房の煙が立ちこめ,硫黄臭い町だったという(長男トシヒロの友人ジャックくんのおじいさん談)。
 往時はにぎわったであろうアルストンは,「かかし祭り」のまっただ中であった。かかし祭り,というのは,家の軒先にかかしをおいておくので,通行中の皆さん,あなたのお気に入りを選んでくださいね,というコンテストである。

 さて,この鉄道の最大の特徴は,762mmゲージを採用している点である。この規格の鉄道は軽便鉄道と呼ばれる。ただし,開業時から軽便鉄道であったわけではない。なので,この鉄道は軽便鉄道ではない。ただし線路や車両は軽便鉄道である。
 なんだか訳がわからなくなってきたが,1852年の開業時から,1976年の廃線までは標準軌の普通の鉄道であった。1973年の廃線の決定から,廃線までの間に金策その他を検討したものの結局かなわず,一回は線路が全て撤去されてしまう。結局,標準軌での復活は費用の点で難しく,わざわざ762mmゲージを引きなおしたのだという。
 この鉄道は,「絶対ここに再び汽車を走らせるんだ。」といった人びとの情熱の結晶であろう。と同時に,「もう止めようぜ。」といったひとは絶対にいたと思うし,よく復活をあきらめなかったものだと思う。
 人が集まって何かをする,つまり組織がわたしの研究の対象である。人々の情熱が,実際の鉄道になることを考えてみると,組織なるものは,やっぱりおもしろいと思う。

 現在の長さは3マイルほどであるが,さらに資金を得て,元々の起点のアルストンまでの路線復活をもくろんでいるとのこと。高架橋(Viaduct)の補修ほかいくつかの課題はあるらしいが,このマッチ箱みたいな汽車にのって,アルストンを再訪できる日が来ればいいなと思っている。

 
 さて,在外研究ももうおしまいである。今週の金曜日の夜には,日本に帰って夜桜を眺めていると思うと,名残惜しさは尽きない。
 学者ならばブログやフェイスブックじゃなくて論文を書け,と過去の記事に書いたと思うので,論文も書いたよ,ということも載せておきたいと思います。第一,社会も駒澤大学も経営学部の同僚も学生も,わたくしがビールやエールをカパカパ飲んで,子どもと楽しく遊んで,マニュアル車の運転にどきどきして,保存鉄道やら蒸気機関車にうつつを抜かすことを期待していた訳ではないでしょう(以上4項目,全て満喫しましたが。)。成果をあげることを期待して送り出してくれたのだと思います。

"Romance of Leadership and Organizational Failure" Leadership and Organization Development Journal (in press)
"Self-sacrificing leadership and social identity" (投稿先探し中)
「イギリスで考える企業と社会」『経営戦略研究』第11号

 そのほか,国際学会での発表予稿が1件アクセプトされた。英語について言えば,話す方(特に聞く方)は,よく分からないことが未だに多いが,書くのについてはだいぶ慣れたな~,という感じ。別に英語の勉強に来たわけではないので,英語の勉強はほとんどしなかった。書くことを意識しながら論文を読んだのと,人が添削してくれたものの中から,自分で使えそうなフレーズをちょこまか書き留めていったぐらいである。例えば,Concretlyと書いてあったのを,More specificallyと直してもらったことがある。具体的には,と書きたいときは,これを使うのね,と言う具合にである。というわけで,書いたことが一番勉強になった,と思う。

 滞在したビジネススクール,及びそこでの同僚の皆さんから受けた刺激は計り知れない。受け入れ先になってくれた先生は,実に親切で楽しい人であった。行き先探しの話からこのブログはスタートしているが,この人のところで勉強しようという意思決定は間違いなかったという確信がある。

 さて,他の先生方が書かれたことが参考になったから,これから行くひとのためになるようなことを書き残しておきたい,という動機で記した訳だが,お役に立ったかどうか。どうも振り返ってみると,大したことないことを偉そうに書いている。こういういやらしいエクスキューズがますますヒノ氏の自意識過剰と小物ぶりを際だたせる,という感想を呼び起こしているような気がする(以下繰り返し)。いや,そういう自意識は持っていますよ。普段大学で大教室講義をしている時でも,自分はなんかとてつもなく恥ずかしいことをしているのではないだろうか,という思いにとらわれることがある。
 一年間何とか暮らして,この程度の人はこの程度の人なりに,この程度の苦労をしてこの程度の成果をあげて,この程度のことにこんなに満足しているのね,とか,「この程度」を念頭に読んでくださればそんなに腹も立たないと思います。おしまい。
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