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英語の勉強(最終回) [在外研究(出発まで)]

 英語ができないのは学校教育と受験英語のせいだ,と言う人々がいる。そうおっしゃるからには,学校ではたいそうよくおできになったのであろう。その英語を基礎に自分で使って,上達させてみれば良いではないか。逆に,peopleって,単数扱いだっけ,複数扱いだっけ,とか一瞬思ってしまうわたくしは,まじめに勉強してこなかったことを悔いている。

 だとすれば,どこに八つ当たりすればよいのか。今回は,八つ当たりをしておこうと思う。


1.明治維新の際に,学校教育は英語で,という考え方があったという。
 このとき,思い切って,高等教育を英語にしてしまえばよかったのに。英語だと物まねの発想しか出てこない,という人がいるが,そういう発言こそ物まねっぽい。聞いてきたようなことを言うな。経営学会に行っても組織学会に行っても,日本発の理論に基づく日本企業の研究で,なおかつ日本語の報告のくせに,独創性が感じられないひとはいくらでもいる。


2.アメリカは,なぜ敗戦国に英語を押しつけなかったのだろうか。
 すでに教育システムは発達しているが,体育ぐらいを手始めに,英語でやって英語を浸透させて極東の軍事拠点にする。その時代の学校の先生方なら,日本語を使ってはいけないところで,日本語を使った子どもを棒でぶったり,首に札を掛けたりして英語を浸透させたに違いない。
 ついでに,リーダーシップの研究者としては,やはり国民に手本を見せるひとがいて欲しい。日の丸が打ち振られる中,英語でスピーチ。これだけでも変わったのではないか。
 
 もっとも,そんなことをしたら,日本企業の国際化は今以上であろうから,かえってアメリカに不利になったかもしれぬ。


3.そもそも日本語市場は日本だけといえ,1億を超える規模である。
 ヨーロッパの小国,オランダでもスウェーデンでもノルウェーでもみな英語がすごく上手である。スーパーの店員さんでもきれいな英語である。自分より下手なひとを探すのが難しい。それに比べて,ドイツやフランスの人々は上手ではない。要するに,その言語の話者が少ないと,その言語のメディアの市場が小さいので,英語に頼らざるをえなくなるのであろう。日本はその点で恵まれている。アジアでは中国と日本は英語なんかうまくならなくったっていい国なのだ(ったのだ)。


4.技術進歩の遅れ
 あと30年ぐらいすれば,音声認識の技術も進んであらゆる外国語は,素早く翻訳されるようになるのではないか,僕らの世代は恵まれてないね,といった同僚がいる。それも夢物語ではなさそうである。今や海外ジャーナルはPDFで見る時代である。わたくし自身はやったことはないが,文字に限ればすでに,Google翻訳とかで内容を把握する,ということも可能なのではないか。
 そういえば,22世紀には,食べると外国語が自在に操れるこんにゃくみたいな食べ物が出てくるらしい。しかし,醤油も味噌もつけないで食べられるのだろうか。


 おおっと,このブログは,在外研究を考える研究者の皆様に有益かもしれない情報を提供しようとすることが目的であった。語学に関する認識も能力もこんなもんだけど,外国で研究活動をしてるよ,ということが,今後の皆様の自信につながればと思います。気を取り直して,次回は行き先が変わるの巻。
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