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子どもの学校inイギリス(その2・次男はしぶとく) [在外研究(暮らし)]

 さて,この学校の一学年の定員は34名である。また,reception yearの一クラス定員は30名と法律で決まっているとのこと。そもそも超えているじゃないの,というが,これは,reception,Year1,Year2の低学年(key stage 1と呼ぶ)を合同4クラスにすることによって,クリアしている。次男は,35人目の生徒になるので入れてもらえなかったのである。この辺の事情は後で知り,このときは,定員を超えているので受け入れられないとだけ示された。

 定員いっぱいの場合どうするのですか,という質問は,教えてgooに出ていたと思う。入学試験の答えでさえ教えてくれるのだから,と~っても役立つサイトだと思うのだが,私たちが州庁から薦められたのは,そこでのやりとりには出てこないアピールという方法であった。

 アピールとは何か。コウビルド英英辞典によれば,If you appeal to someone in authority against decision, you formally ask them to change it. British Englishでは,appeal against something という(アメリカ英語では,againstがいらない)。どう訳すか?行政の決定に不服ないしは異議を申し立てるというぐらいでよいのではないか。自分たちの事情を述べて,決定の変更を求めるということらしい。審判のジャッジにアピールするのあぴーるであろう。
 しかし定員を超えているのだから,アピールしたところで,決定が変わるのか?不安はあったが,ほかにすべもなく言われたようにすることにする。

 アピールフォームが送られてきたので,これを埋めて返送しなければならない。兄弟はなるべく同じ学校に通わせる,ということが州庁のHPに出ていたので,この辺を強調する。いわく,Older child has been acceptedとか,impossible for us to take care of two children in different schoolとか。ついでに,would like to make him accustomed with school atmospher and enjoy his school lifeなので,なるべく早く学校に行かせたい,という個人的な願望も書き添える。で最後は,I hope that my request will not cause you too much trouble and appreciate your consideration.と結ぶ。感謝の言葉は行為の前に述べてもいいらしい。

 さて,計画停電の最中に,また原発の事態も日々深刻化しているなか,英作文をして,メールで送る。送り先は,グラハムさんというSenior Democratic Services Officerである。教育担当部局ではない。
 ところで,この前紹介したJapan needs our helpを州庁のホームページで見たのは,このときが初めてであった。それにどれだけ勇気づけられたかわからない,とメール本文に謝辞を書かずにはいられなかった。

 さて,お見舞いの言葉と主に,アピールパネルの前で,アピールをしなければならないといわれる。絶句...。書類だけですむかと思っていたのに...。

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子どもの学校inイギリス [在外研究(暮らし)]

 イギリス日本で離ればなれは寂しいので,家族をつれて行くことにした。となると,長男トシヒロ(8歳),次男トモノリ(5歳)は,学校に行かなければならない。在外研究で子どもを日本人学校に入れたという話は,寡聞にして聞かない。そもそもここには日本人学校はない。行くのは現地の小学校(現地校)である。自分が,連れて行かれる立場であったら,めそめそ泣いて騒いで大変だったと思う。もしもこのブログを読んでいる在外研究に連れて行かれそうになっている子どもがいたら,大学教員の父や母を持った不幸を呪って,そういうもんだとあきらめて欲しい。

 さて,ものの本によるとイギリスは3学期制で,5歳になった直後の学期の始まりからprimary school,つまり小学校に行くという。ただし,遅くともそれまでに行かなければならない,ということであるらしく,ここでは,一斉に9月入学の仕組みをとっている。1月1日生まれの次男トモノリも5歳なので,イギリスではprimaryに行かねばならない。目下,最終学歴は幼稚園中退である。

 School Transfer,転校のプロセスもいろいろあるようである。校長先生に裁量がある,と書いている人もいる。私の場合,County Council,州庁のホームページに方法が出ていたのでそれに従った。2月の末に住居が決まったので,そこから歩いて通えそうな小学校を2校選んだ。妻が車で送ったりしたら,別の問題が生じるであろう。お母さんは暗いところに閉じこめられて,帰るときは父子家庭かもしれぬ。歩いて通えるというのは必須条件であった。記入した書類はPDFにして州庁の担当部局に送る。

 待つこと,1週間強。確か回答の目安までに返事が来ないので,この方法でよいのかを電話で問い合わせてみたのを覚えている。方法にはおそらく問題なかったとみえ,返事が来る。地震の直後ではなかったか。長男トシヒロは,Year3に入学決定。ただし,席を確保しておけるのは3週間なので,4月はじめから通って欲しいとのこと。新学期からでいいかな,と思っていたが,旧学期は,4月半ばに終わり,新学期は5月3日からなので,学期終わりの編入となる。

 ここで,学校とメールで連絡を取る。Head Teacher,校長先生曰く,まずは新しい環境に慣れることが大切,4月6日に面談,4月7日,8日の木,金の2日間は午前中だけ来て,次の週はフルタイムで来なさい,ということになる。

 このように,すんなり学校が決まり,長男は学校に通い始める。イギリス人の友達が「サッカーしませんか?」「よくやった。」と日本語で話しかけてきてくれたとか,給食がおいしいとか,リコーダーがうまく吹けないとか,楽しそうに学校生活の様子を語ってくれる。学校には日本人は全くいないが,長男もわたくし同様に,いい人たちに恵まれ,イギリス生活を始められたようである。また,州庁の担当者,校長先生ともに親切で,いろいろな手続きは過不足なくできた。


 ところで,幼稚園を中退させられた次男はどうなったのか。実は入学すべきreception year,初年度クラスは定員いっぱいで断られてしまったのである。ともちゃん,大ピンチ。


 写真は,Neville’s Cross Primary School。到着3日目ぐらいにとりあえず散歩に行ったときの一枚。
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イギリス在外研究のはじまり [在外研究(地震)]

 ひとがうまくいかない話を聞いて,うれしく思うかどうかは,その人との人間関係によるが,ひとがうまくやっているとか楽しくやっている,という話は,その人との関係に関係なくく,うざいやつだなと思う,という話がある。むかし,官費留学中の某若手高級官僚が外国からクリスマスカードをくれたことがあるが,返事出しませんでしたもんね。
 
 しかも,日本はこんな有様である。こ~ゆ~状況で,「イギリスはいいよ。」とか「在外研究楽しいよ。」という話をだらだら書いていたら,きっと友達をなくすに違いない。ネット市民が,勤務先に「お宅の教員は非常識だ。」と電話するおそれもある。渋谷の大学の先生は,それで大変でしたね。それを覚悟で,でも書きたいことがあるので,書こうと思う。



 さて,イギリスに来てみると,多くのひとが地震や原発事故について気遣ってくれます。あなたはどうだったか,とか家族はどうだったかとか。また,悲しいニュースにびっくりしたとか。
 
 外国の人が,これほどまで気遣ってくれる,ということに,非常に勇気づけられます。また,豊かな国の国民で,また不自由なく暮らしている私にとって,「他者を助ける」「他者を気遣う」ということは,(建前はともかく)富める者から貧しい者への施しのような気がしていました。しかし,いざ自分や自分の国がこれまで想像もしなかった気遣われる立場に立ってみると,他者への気遣いは,同じ地球上に暮らす,権利と義務,責任を分かち合う人々の助け合いでなければならないと改めて実感します。

 
 われわれは,援助を求めるひとの声を単なるわがままだと切って捨てていることはないだろうか。他者への援助を余裕ある人による施しだと思って,後回しにしていないだろうか。他者の不幸に無関心だったりしないだろうか。他国に暮らすひとの気遣いをうれしく思うとともに,そんなことを考えさせられました。


 写真は,募金を呼びかけるポスター(市役所関係の建物)
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イギリス暮らしの心の準備 [在外研究(出発まで)]

 調べてみると,在英の日本人が書かれているブログのたぐいはものすごく多い。アメリカほどでないにしても,たくさんの日本人がいるようである。ビジネスだけに限っても日本からの進出企業は485社を数えるという(東洋経済調べ。20010年版)。ちょこまか見せていただき,大変参考になりました。

 ここでは,おもしろかった本を2冊。
 
イギリス暮らしの英語表現 (CD BOOK)

イギリス暮らしの英語表現 (CD BOOK)

  • 作者: 津野 志摩子
  • 出版社/メーカー: ベレ出版
  • 発売日: 2006/11/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


 英会話の例文集。長くイングランド南部に住んでいる女性が書いた本。(たぶん)英語が苦手な人でもこういう言い方なら覚えやすいだろう,という視点で例文が収集されている。知り合いがイギリス暮らしについて教えてくれているような感じを受ける。
 学校とか病院とか,家を借りる,車を買う,子供を学校にやるといった場面別になっていて,それぞれのイギリスでの慣行が書いてある。こういうときには,こういう単語を使うのね,ということがわかるのは心強い。
 たとえば,「子供を小学校に通わせる」。この場合の「通わせる」は何か?わたくしなど,使役動詞+目的語+原型不定詞?とか考え始めてしまうが,sendでいいらしい。


TRANSIT(トランジット)10号~永久保存 美しきイギリス最終案内 (講談社MOOK)

TRANSIT(トランジット)10号~永久保存 美しきイギリス最終案内 (講談社MOOK)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2010/09/24
  • メディア: ムック


 グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国の地理や歴史,文化について書かれたムック。何故,グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国なのか,といった歴史について述べられているのもさることながら,人々の暮らしについて紹介されているところが興味深い。写真が多くてこどもと一緒に見てもおもしろい。
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「おとうさん,この写真は?」

「これは,このおばさんとこのおばさんの結婚式の写真って,書いてあるね。」

「???」 





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行き先探し(在外研究先が変更に) [在外研究(出発まで)]

 さて,7月末になってである。正式に在外研究が許可されたことを,受け入れ先の先生にメールで伝える。すると,10月からダーラム大学に移るので来ないか?とのこと。This is a fantastic university and I am sure there will be no problem whatever for you to come there instead of ○○大学。と書いてあるものの,転勤したばかりの先が急に受け入れてくれるか?と思う。
 ちなみに,ある人がメールをのぞき込んで,英語っぽくない英語,といったが,そうかもしれない。受け入れ先になってくださった先生は,ヨーロッパ出身。

 さて,最初飛び込みで在外先を探した,と書いた。しかし,オクスフォードやケンブリッジは,希望者が殺到して順番待ちが激しいという話を聞いたことがある。スタンフォードやMITにはまず断られる,というのも耳にした。スタンフォードに実際に断られた,という先生は知っている。この大学も,歴史で言えば,オックスフォードやケンブリッジに次ぐという。順番が詰まっていたりしないのだろうか。
 
 そんなわけでそれなりに動揺するものの,I sincerely congratulate you and wish your career there will be successful. I of course want to spend my sabbatical at Durham University and ask you for ・・・と,返事を書く。

(ここは私が自分で書いたままなので自信ないです。こういうときは,「心から」って書くのだろうけれど,それがどの程度の「心から」なのか,分からない。日本語の「謹んで」と「本当に」「まじで」ではだいぶ語感が違う。ある英語の先生が,丁寧に越したことはない,といってくれたので,どうせ細かい語感は我々にはわからないんだから,丁寧に書くようにすればよいのだと思う。なんとなくreallyよりは高級そうだ。あと,こういうメールは結局お願いなのだけど,依頼するときには,please let me なんとか,という表現をよく見る。let me knowとか。tell meよりはそれっぽい。)

 その先生の新所属先の,Head of Departmentにもメールを出すことになる。メールには,再び,お金は自分で準備することと,すでに在外研究の計画は所属大学で承認されている,ということを書いた。
 夏休み中のやりとりであったので,待つこと三,七,二十一日ぐらいで返事が届く。We are delighted ということ。そんなわけで,無事在外研究に行けることが確定したのは,2010年の8月末であった。もっとも安全策で,他に目星をつけるぐらいのことはしておいたような気もする。 

 このやりとりと同時に,受け入れ先の先生には,7月にパリで学会報告してきた論文を送って,内容や投稿先についてアドバイスをもらう。論文には,自己評価していた以上に好意的なアドバイスをしてくれて,ますます在外研究が楽しみになるのであった。

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英語の勉強(最終回) [在外研究(出発まで)]

 英語ができないのは学校教育と受験英語のせいだ,と言う人々がいる。そうおっしゃるからには,学校ではたいそうよくおできになったのであろう。その英語を基礎に自分で使って,上達させてみれば良いではないか。逆に,peopleって,単数扱いだっけ,複数扱いだっけ,とか一瞬思ってしまうわたくしは,まじめに勉強してこなかったことを悔いている。

 だとすれば,どこに八つ当たりすればよいのか。今回は,八つ当たりをしておこうと思う。


1.明治維新の際に,学校教育は英語で,という考え方があったという。
 このとき,思い切って,高等教育を英語にしてしまえばよかったのに。英語だと物まねの発想しか出てこない,という人がいるが,そういう発言こそ物まねっぽい。聞いてきたようなことを言うな。経営学会に行っても組織学会に行っても,日本発の理論に基づく日本企業の研究で,なおかつ日本語の報告のくせに,独創性が感じられないひとはいくらでもいる。


2.アメリカは,なぜ敗戦国に英語を押しつけなかったのだろうか。
 すでに教育システムは発達しているが,体育ぐらいを手始めに,英語でやって英語を浸透させて極東の軍事拠点にする。その時代の学校の先生方なら,日本語を使ってはいけないところで,日本語を使った子どもを棒でぶったり,首に札を掛けたりして英語を浸透させたに違いない。
 ついでに,リーダーシップの研究者としては,やはり国民に手本を見せるひとがいて欲しい。日の丸が打ち振られる中,英語でスピーチ。これだけでも変わったのではないか。
 
 もっとも,そんなことをしたら,日本企業の国際化は今以上であろうから,かえってアメリカに不利になったかもしれぬ。


3.そもそも日本語市場は日本だけといえ,1億を超える規模である。
 ヨーロッパの小国,オランダでもスウェーデンでもノルウェーでもみな英語がすごく上手である。スーパーの店員さんでもきれいな英語である。自分より下手なひとを探すのが難しい。それに比べて,ドイツやフランスの人々は上手ではない。要するに,その言語の話者が少ないと,その言語のメディアの市場が小さいので,英語に頼らざるをえなくなるのであろう。日本はその点で恵まれている。アジアでは中国と日本は英語なんかうまくならなくったっていい国なのだ(ったのだ)。


4.技術進歩の遅れ
 あと30年ぐらいすれば,音声認識の技術も進んであらゆる外国語は,素早く翻訳されるようになるのではないか,僕らの世代は恵まれてないね,といった同僚がいる。それも夢物語ではなさそうである。今や海外ジャーナルはPDFで見る時代である。わたくし自身はやったことはないが,文字に限ればすでに,Google翻訳とかで内容を把握する,ということも可能なのではないか。
 そういえば,22世紀には,食べると外国語が自在に操れるこんにゃくみたいな食べ物が出てくるらしい。しかし,醤油も味噌もつけないで食べられるのだろうか。


 おおっと,このブログは,在外研究を考える研究者の皆様に有益かもしれない情報を提供しようとすることが目的であった。語学に関する認識も能力もこんなもんだけど,外国で研究活動をしてるよ,ということが,今後の皆様の自信につながればと思います。気を取り直して,次回は行き先が変わるの巻。
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英語の勉強(やめろと言われないのでその3) [在外研究(出発まで)]

 幸い,今日ではネット上にさまざまな英語音声がある。これを利用するのはおもしろい。勤務先の英語の先生が,英語の学習は,オーセンティック・マテリアルズを使うのが効果的,とおっしゃっていたが,おそらくこういったもののことであろう。また,この先生がおっしゃるには,今は読む,書く,聞く,話すを分離して教える時代ではなく,一コマの中で4技能を同時に追求することが大事だとか。いろんなニュースを読んで,聞いて,ごにょごにょサマリーを唱えてみたりするのは,確かに効果的に感じる。
  
 たとえば,BBCNEWS 
 Asia-Pacificのところに,日本のニュースがある。何が取り上げられているのかを知るのも面白い。過去出てきたものでは,「菅伸子夫人,夫について語る。」 記事曰く,publicly downplaying the achievement ot the loved oneが日本の伝統だとか。タイガーマスク運動もパンダ来日も報じられていた。

 NPR
 National Public Radio.音声にスクリプトがついている点が,英語の勉強にはよい。米語と英語は違うじゃないの,という指摘があると思うが,わたくしの場合,そういうレベルじゃないので,そんなことはどうでもよい。英会話学校の先生もおすすめ。

 新聞では,たとえば,The Gardian
 サンとかミラーのニュースで英語を勉強しようというのは,産経や東スポで日本語を勉強するようなものかもしれない。ここは,リベラル系のクオリティ・ペーパーのサイトを見る。Podcastのコーナーもある。音声をダウンロードして通勤途中で聴くとか。問題は,電車の中で思わず声が出ちゃうこと。なので(それを口実に)やめた。 

 さて,英会話学校は,自分なりに予習してレッスンに臨むと,それなりにうまくいく。予習しないとうまくいかない。実際の会話は予習して行けるわけではないから,予習してレッスンに行っても仕方がない,と思いかけたことがあった。が,まもなくそれは出来の悪い学生の言いぐさ(ないしは過去の私の言い訳)と同じであることに気がついた。やはり自分で英英辞典を引いて,読み方や言い方の練習をしてみることは重要なのだと思う。高校2年生のとき,英語の大蔵先生は50分の授業に対して100分予習してこい,とおっしゃっていた。今日までぐーたらな英語学習者のままであるが,この先生のおっしゃったことが真実なのだろうと思う。

 自分で書いていて,英語ができるような気がしてきたが,これは錯覚というもの。誤解しないでください。知っているはずの単語が出てこなくて,四苦八苦することばかりである。
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英語の勉強(懲りずにその2) [在外研究(出発まで)]

 とはいえ,のこのこ海外の学会報告に行ったことはある。初めては,7年ぐらい前のことである。 
 
 何とかフル・ペーパーを仕上げる。頼りになるのは,これまで読んだ論文の中に出てきた英語表現である。また,英語論文の書き方みたいな本も参考になる。正確にはこの手の本がないとわたくしには無理である。特に書き出しから詰まってしまうような場合,ちょっと開くと便利そうな表現が出てくる。The purpose of this paper is to investigate とか,のっけから開くことが多い。


英語論文によく使う表現事典―自然科学、人文科学、社会科学などさまざまな分野で活用できる!

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  • 作者: 加藤 久雄
  • 出版社/メーカー: ナツメ社
  • 発売日: 2000/01
  • メディア: 単行本



 また,書いたやつは,英文校正の業者に出す。けっこう直って返ってくる。最初から正しい英語で書かなくて良い,と思うと気が楽である。


 また,最初こそポスター・セッションであったが,2回目からはプレゼンテーションも必要になる。パワポでスライドを作って,報告しなければならない。アドリブなんて絶対無理だから,原稿を書かなければならない。これまた,「英語の発表の仕方」みたいな本がわたくしの場合,不可欠である。「何とかについて述べたいと思います。」って,なんて言うんだろう? 本によれば,Let me show youなんとかである。


CD BOOK 国際会議・スピーチ・研究発表の英語表現

CD BOOK 国際会議・スピーチ・研究発表の英語表現

  • 作者: 石井 隆之
  • 出版社/メーカー: ベレ出版
  • 発売日: 2006/01
  • メディア: 単行本




 質疑応答はよくわからない。取り合えず聞かれたことを創造(想像ではないかもしれません。)して答える。それでも報告後に,ああだこうだと言われることがあるから,なんとか聴衆の興味を引きつけているのかもしれない。とにかくすることが大事だと思う。かつてベルリンで「日本の年寄りは質疑応答は無理なので,メールを下さい。」といって場をしらけさせた関西地方の先生がいたそうだが,こういうのは恥さらしである。

 結論から言えば,私の場合,在外研究の前に外国での学会報告の経験を持っていたことは,大きかったと思う。会話はともかく何とかメールぐらいならやりとりできるのは,フルペーパーを書いたり,発表の原稿を書いたりしたことが活きている。2年ぐらい経って,あのときの報告ですが,とインドの大学院生からメールが来たときは驚いたとともにうれしかった。また,行き先探しの際に,英語の業績を書けたのも気後れしないですんだ。

 そんなわけで,理科系や心理学,経済学のように日常的に英語で論文を書く必要がない分野であっても,英語で書いて学会報告したり,論文投稿することは英語力の向上にも役立つと思う。
 もちろん,経営学の分野では,高橋伸夫先生のように優れた研究者が,英語で書くことの意義を説かれている。しかし,大リーグに行くのは,イチローや松井だけではない。今や,えっ,あの選手も?というようなひとも行く。わたくしが,その意義を書くことが,誰かを励ますことになれば幸いである。

 日常的に英語の論文やテキストを読む際も,声に出して音読してみるだけでも,少しは上達するような気がする。目で追っているだけでは,だめっぽい。使えそうなフレーズを書き留めておけばさらに役立ったはずである。

もっとも,「シャチョサン,マタキテネ。」が,ある状況において正しくて,正調日本語とほど遠いように,学術論文や学術会議の英語も,また日常の英語表現からは離れているのであろう。しかし仕方がない。

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英語の勉強 [在外研究(出発まで)]

 ところで(思い出したように),イギリスで在外研究というと問題になるのは語学力である。実は英語は苦手である。読めてもそれ以外はからきしだめである。よく恥ずかしげもなく英語の話を書くよね,と思われることを承知で勉強法をさらしてみようと思う。
 
 高校時代,外国人講師トムリン先生の授業で,質問されて,とりあえずYes.と答えてみたところ,
「それは,Yes,Noで答えられる質問じゃないぞ。」といわれたことがある。それだけ聞き取れれば立派なものじゃないですか,と慰めてくれるかもしれないが,これは,一緒に授業をしている日本人の佐伯先生が日本語で教えてくれた。

 そんなわけで英語にはからきし自信がない。大学は少なからぬ渡航滞在費を出してくれるのだから,ここは自腹を切って英語を勉強しようと4ヶ月ほどベルリッツに通うことにする。大人になると日々の忙しさに紛れて,英語を勉強する時間がなかなかとれない。週一回で英会話学校に通えば,予習・復習も含め,少しは勉強するようになるだろうと思ったのである。

 とはいえ,「これはいくらですか。」とか「今日はいいお天気ですね。」ぐらいは知っている。なにかネットでニュースの記事を探して,その内容について討論することになった。会話が弾みそうなネタを探すので一苦労。結果,議論の対象にしたのは,「北米におけるトヨタ自動車の業績回復」とか,「wikiリークスがもたらしたもの」「イギリスの大卒女性の躍進」「アメリカ人の40%は神様が人を作ったと信じている」「エジプト騒乱」などさまざま。
 
 英語の勉強もさることながら,日本に詳しくない人に日本についてどう説明するか,というようなことをあらかじめ考えなければならないのが勉強になった。辞書を引き引き,ここはこういうのではないか,と予習する。また,われわれがヨーロッパやアメリカのメディアが何を伝えているのかに疎いことにも気がついた。

 とはいえ,家に帰ってレッスンのテープを聞き返すと,5分でイヤになる。それぐらいへたくそである。ま,持っている分で勝負しなきゃ行けないのさ,と思うことにしている。あと,そんな英語でも何とか吸収したり発信したりすることが大事なのさ,と開き直ることにしている。

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勤務先でのさまざま(学部編) [在外研究(出発まで)]

 大学の講義や学内行政を離れて,一年間ないし二年間,他の研究機関で勉強してきていいよ,という制度がある。大学によって制度の名称も,その期間も待遇もさまざまだと思うが,私の勤務先コマザワ大学には,在外研究と呼ばれる制度がある。これを利用して行くことにした。
 ちなみに,当初狙っていたのは,日本学術振興会(学振)の「優秀若手研究者海外派遣事業」である。コマザワ大学の場合,滞在費も支給してくれるが,学振には遠くおよばない。学振の制度は仕訳の結果,廃止になってしまったのでここではやむを得ず勤務先の制度を利用することにした。

 さて,勤務先のコマザワ大学経営学部は,本当に研究に理解ある理想的な職場である。30人強の学部教員に対して毎年一人以上の在外研究枠が割り当てられている。複数の応募者があった場合は,先任者優先で行けるひとを決めるというルールである。正式な応募と決定は,前年の夏,というしくみである。一応若手教員に属する私としては,他に年長の希望者が出てくると行けなくなってしまう。

 そこで,「再来年の4月から在外行きたいんですけど,いーすーかー?」と,ことあるごとに言うことにした。「ヒノが行くならワシが行っちゃる。」という性格の悪い先生がいるわけもなく,前年の(つまり2010年の)7月の教授会で計画は無事承認されたのであった(欠席していた)。むしろ,「ヒノさんが行くって前から言っていたから,僕は後にしよう。」といってくださった先生がいらっしゃるのかもしれない。私の所属先の経営学部は,そういう気配りで成り立っている職場なのである。
 
 留守中の代講は,非常勤の先生にお願いすることにした。これも大学院生の頃からの知人に快く引き受けていただいた。

 また,コマザワ大学はいろいろあって,・・・・・・・・・・・・・。大学会計において,最大にして削減容易な支出といえば,人件費の他になく,目下のところ・・・・・・・・(すみません,諸般の事情でここは伏せておきます。)。
 
 そんないろいろあって,諸般の事情が生じても,在外研究の制度自体を縮小することはなかった。そんなわけで,この大学は(特に経営学部は),教員の研究活動を大事にして,教育を充実させるという理想を持った大学である,と断言してもよいと思う。教員一人一人が自分の研究を大事にしなくてはいけない。研究していない大学教員がどんな教育ができるというのか。これは,FDやらGPやらJABEE以上に大事なことではないか。
 職場のひとにも組織にも本当に感謝である。

 写真は,学部の先生方が催してくれた壮行会にて。2011021318550000.jpg
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